植生破壊のメカニズム ― 2013年09月01日 01:00
巻機山最大の裸地
井戸尾根コースの8合目からは、雪田草原に変わります。しかしながらそこに広がる光景は殺伐としたガレ石の斜面です。その中に小さな浮島状に残る植生が痛々しい。1970年にはほとんど土壌が残っていましたが、1976年の調査時点では、裸地化した道幅は、最大で18㍍以上に達し、土壌はほとんど流出して風化した母岩がむき出しになっていました。土壌が残っていた時代に、登山者がぬかるむ場所を避けながら、横に横に広がって歩いていたのでしょう。斜度20度から30度前後の斜面の登坂路が広がっていくのは、それほど長い時間は必要としなかったのです。
井戸尾根コースの8合目からは、雪田草原に変わります。しかしながらそこに広がる光景は殺伐としたガレ石の斜面です。その中に小さな浮島状に残る植生が痛々しい。1970年にはほとんど土壌が残っていましたが、1976年の調査時点では、裸地化した道幅は、最大で18㍍以上に達し、土壌はほとんど流出して風化した母岩がむき出しになっていました。土壌が残っていた時代に、登山者がぬかるむ場所を避けながら、横に横に広がって歩いていたのでしょう。斜度20度から30度前後の斜面の登坂路が広がっていくのは、それほど長い時間は必要としなかったのです。

複数の帯状になった登山道
ニセ巻機山の低木帯を過ぎると再び雪田草原となります。登山道は斜面の草原をトラバース気味に下っていきます。登山者はぬかるんだ路面をさけるために、道の上下に踏み込み、結果的に幅10㍍以上に及ぶ帯状の道となってしまいました。斜面をトラバースする道は、このようになることが特徴です。
ニセ巻機山の低木帯を過ぎると再び雪田草原となります。登山道は斜面の草原をトラバース気味に下っていきます。登山者はぬかるんだ路面をさけるために、道の上下に踏み込み、結果的に幅10㍍以上に及ぶ帯状の道となってしまいました。斜面をトラバースする道は、このようになることが特徴です。

1日で破壊された雪田草原
ある年の10月連休に、定期バスと前夜宿泊者等の登山者が黙々と巻機山をめざしていた。天候は雨。推定するとその日は、300人程度が入山したと思われます。その登山者たちが、丸太階段で整備されていたある登山道で、その踏み面幅が広すぎたためにぬかるみ、結局ははみ出して歩いたのです。その結果、谷側の草原上に新しいトレールが2本、完全に裸地化した状態で刻まれました。地盤が緩んでいるとき、雪田草原の植生はいとも簡単に破壊されてしまうのです。
ある年の10月連休に、定期バスと前夜宿泊者等の登山者が黙々と巻機山をめざしていた。天候は雨。推定するとその日は、300人程度が入山したと思われます。その登山者たちが、丸太階段で整備されていたある登山道で、その踏み面幅が広すぎたためにぬかるみ、結局ははみ出して歩いたのです。その結果、谷側の草原上に新しいトレールが2本、完全に裸地化した状態で刻まれました。地盤が緩んでいるとき、雪田草原の植生はいとも簡単に破壊されてしまうのです。

傷口をえぐる集中豪雨の猛威
巻機山頂上の最後の登りにさしかかる部分は、無数の土石に埋め尽くされた道となっています。あふれた土石が雪田草原の中になだれ込んでもいます。原因は、その上部の急斜面の登山道が裸地化して、頂上まで続いています。そしてその道(溝)は集中豪雨のたびに猛烈な勢いの表流水により洗掘され、どんどん土石を押し流し、ぱっくりと不気味な口を広げています。このエリアは、周氷河作用で生産された岩屑が分厚い礫層となって斜面を覆っています。そのため侵食がはじまると際限なく続くことになってしまうことと、この場に登山道がつけられてしまったこと、斜度が20から30度近くあることなどが重なり、大きなダメージを受けることとなってしまいました。
のちに群馬県側の谷川連峰への縦走コースにおいても、同様のことが発生していることがわかり、その後の対処をきっかけに、ボランティアと行政の間に画期的な関係が築かれることになります。
巻機山頂上の最後の登りにさしかかる部分は、無数の土石に埋め尽くされた道となっています。あふれた土石が雪田草原の中になだれ込んでもいます。原因は、その上部の急斜面の登山道が裸地化して、頂上まで続いています。そしてその道(溝)は集中豪雨のたびに猛烈な勢いの表流水により洗掘され、どんどん土石を押し流し、ぱっくりと不気味な口を広げています。このエリアは、周氷河作用で生産された岩屑が分厚い礫層となって斜面を覆っています。そのため侵食がはじまると際限なく続くことになってしまうことと、この場に登山道がつけられてしまったこと、斜度が20から30度近くあることなどが重なり、大きなダメージを受けることとなってしまいました。
のちに群馬県側の谷川連峰への縦走コースにおいても、同様のことが発生していることがわかり、その後の対処をきっかけに、ボランティアと行政の間に画期的な関係が築かれることになります。

池塘破壊のメカニズム
巻機山にとっての池塘は、風景にうるおいを与えてくれる立役者です。しなしながら調査当時は、それら池塘はことごとく破壊されていました。
●「土砂埋没型」破壊
上部の侵食された登山道から、集中豪雨で押し出された土石のうち、粒子の細かい土砂を含んだ雨水が、登山道をつたって池塘に注ぎ込まれついには池を埋めてしまうケース。
●「池水流出型」破壊
比較的平らなエリアの池塘で、主には山頂付近でのケース。多くの登山者の踏みつけにより周囲が裸地化し、その広場が池塘のレベルより下がったため堤部の断面が凸状になってしまう。池塘の景観的なおもしろさから、見たいがために登山者が接近し、さらに堤部を崩してついには水が決壊します。魅力を失った池塘は気にされることもなく踏み潰され終焉を迎えることになります。
巻機山にとっての池塘は、風景にうるおいを与えてくれる立役者です。しなしながら調査当時は、それら池塘はことごとく破壊されていました。
●「土砂埋没型」破壊
上部の侵食された登山道から、集中豪雨で押し出された土石のうち、粒子の細かい土砂を含んだ雨水が、登山道をつたって池塘に注ぎ込まれついには池を埋めてしまうケース。
●「池水流出型」破壊
比較的平らなエリアの池塘で、主には山頂付近でのケース。多くの登山者の踏みつけにより周囲が裸地化し、その広場が池塘のレベルより下がったため堤部の断面が凸状になってしまう。池塘の景観的なおもしろさから、見たいがために登山者が接近し、さらに堤部を崩してついには水が決壊します。魅力を失った池塘は気にされることもなく踏み潰され終焉を迎えることになります。

参考文献:よみがえれ池塘よ草原よ 松本清著 山と渓谷社2000/03
運営体制 ― 2013年09月01日 01:19
私たちは、さまざまな方々の協力を得ながら活動を進めております。巻機山の玄関口である清水の皆様、地元営林署、役場、新潟県庁、群馬県庁、各所の山岳クラブ等の皆様にご協力いただいております。
●団体の名称
巻機山景観保全ボランティアーズ
●運営メンバー
代表 松本清(フリー観光等コンサルタント)
副代表 麻生恵(東京農業大学地域環境科学部教授)
スタッフ 栗田和弥(東京農業大学地域環境学部講師)
スタッフ 横井昭一(エコレストラン研究会)
スタッフ 東京農業大学地域環境科学部 自然環境保全学研究室
事務局 公益財団法人日本ナショナルトラスト
●連絡先
担当:横井昭一
メールアドレス : makihata#asahinet.jp (#を@に変えて送信下さい)
植生復元技術:表土残存地における移植2 ― 2013年09月01日 09:00
●播種(種子埋め込み型)
土と混ぜて増量しやすいヤチカワズスゲを使用。種子を埋め込む方法は、少ない種子で施工面積を拡げるのに適しています。

◆施工場所:竜王平

施工時の状況
↓

16年後、ヌマガヤも侵入
↓

24年後。ミヤマイヌノハナヒゲが優占する草原へ。
◆山頂東面

1988年当時の状況
↓

播種2年後
↓

播種4年後。回復が周辺にも及ぶ(緑化ネット、光合成バクテリア使用)
植生復元技術 : 表土残存地における移植、播種 ― 2013年09月01日 09:00
●移植(植生株埋め込み型)
移植は結果として効果がありました。植生株の供給源の問題は、土砂で埋まった池塘に繁殖した植物を用いることで解決しましたが、供給量に限界があります。実験や部分補修程度の移植なら、供給源を慎重に選ぶことで実行は可能です。

施工場所位置図

ヌマガヤ移植実験
↓

11年後。水分条件に恵まれ成果を得る

ヤチカワズスゲの移植
↓

18年後。ヌマガヤが優占し、見た目はほぼ復元された。
これまでの活動 ― 2013年09月01日 10:08
●1976年
(財)日本ナショナルトラスト(当時名:(財)観光資源保護財団)の自主事業調査において、巻機山が対象となる。
巻機山への現地調査、自然環境の構造、自然破壊の実態などの調査報告書を作成。調査実施者は、東京農業大学造園学科造園計画第3研究室。
現在巻機山景観保全ボランティアーズ代表である松本清氏は、当時(財)日本ナショナルトラストの職員、同ボランティアーズ副代表の麻生恵氏は東京農業大学の講師をしており、この調査でこの2名は運命の出会いを果たす。
●1977年
巻機山の地元新潟県塩沢町清水において説明会の実施。
参加者は、新潟県、塩沢町、六日町の行政関係者、六日町営林署、清水の方々、マスコミ関係者など約40名。
(財)日本ナショナルトラストから調査経緯説明、東京農業大学から巻機山の特性、自然的・景観的価値、現在生じている問題、将来のあり方などについて報告をおこなう。
これにより地元関係者の理解を得て、本説明会の翌日から保全作業活動に突入する。
(財)日本ナショナルトラスト(当時名:(財)観光資源保護財団)の自主事業調査において、巻機山が対象となる。
巻機山への現地調査、自然環境の構造、自然破壊の実態などの調査報告書を作成。調査実施者は、東京農業大学造園学科造園計画第3研究室。
現在巻機山景観保全ボランティアーズ代表である松本清氏は、当時(財)日本ナショナルトラストの職員、同ボランティアーズ副代表の麻生恵氏は東京農業大学の講師をしており、この調査でこの2名は運命の出会いを果たす。
●1977年
巻機山の地元新潟県塩沢町清水において説明会の実施。
参加者は、新潟県、塩沢町、六日町の行政関係者、六日町営林署、清水の方々、マスコミ関係者など約40名。
(財)日本ナショナルトラストから調査経緯説明、東京農業大学から巻機山の特性、自然的・景観的価値、現在生じている問題、将来のあり方などについて報告をおこなう。
これにより地元関係者の理解を得て、本説明会の翌日から保全作業活動に突入する。

御機屋直下の登山道による洗掘溝から沢に雨水を誘導するバイパス路づくりを実施。この施業が効をそうし、竜王の池への土砂雨水浸入を防ぐことに成功する。
秋、今後の行動計画の話し合いを地元で開催。下記の行動計画が合意された。出席者は塩沢町担当課、六日町営林署、清水住民、巻友会。
1)歩きにくさ解消のための登山道整備
2)雪田草原への侵入を強制的に防ぐ規制ロープの強化
3)景観回復のための池塘の復元
4)裸地化した雪田草原の緑をとりもどすための植生復元
5)テント場の指定、公衆トイレの設置などを含む避難小屋周辺整備
役割分担を、労力はボランティア(東京農業大学造園学科造園計画第3研究室)、必要な資材提供を町でおこなうことを確認する。
●1978年
丸太階段の設置20段。踏面に石を敷き詰め、歩きやすさを確保する。
ぬかるむ登山道状に麻袋を敷き詰める。
竜王二ノ池の復元作業をおこなう。ジュプオという音ともに想像以上に重い湿り土を掘る作業をおこなう。全体の1/4面積を実施。掘った部分は確実に水面がもどることが確認できた。
今後の登山道整備のため、ヘリコプターにより46本の枕木を山頂へ運搬する。山頂のゴミを下へおろす作業に便乗して荷揚げをおこなった。

●1979年
ヘリコプターのチャーター予算が確保され、大規模な資材運搬をおこなう。
木道整備を実施し総延長約300㍍が完成。スラローム曲線の美しい木道。
ニセ巻機の斜面地に階段設置、ぬかるみ部分に麻袋を敷く。
竜王二ノ池の本格的な浚渫復元を実施。ネコ車が大活躍し作業の進みが早い。規制ロープの設置。
上記作業の結果、その年の竜王二ノ池にまんまんと水がたまり復元成功。


●1980年
手探りの植生復元を開始する。竜王一ノ池に繁殖した自生種ヤチカワズスゲを利用した植生復元を進めていくことを計画する
●1981年
竜王一ノ池に昨年よりさらに繁殖したヤチカワズスゲを、植生ブロック上に切り出し、裸地部分に移植する。
その一部に播種によるものと、このブロックのもの実験区を設け、経年変化を観察することとする。この実験区は、勾配の異なる場所3ケ所に設定。活着の具合、分けつの調査をおこなう。この調査は東京農業大学の学生さんが卒業論文としてまとめることとするとともに、フィールドワークを体験させる教育としても活用する。

●1982年
昨年におこなったヤチカワズスゲのブロック移植が予想以上に成績良かった。株が1.5~2倍に増えているものもあった。
播種の成績も目を見張るものがあった。発芽率90%を超え、1㍍四方のテープの中に10㌢間隔で並んだ幼苗がコブのように浮き上がっていた。
完璧ではないかもしれないが、これにより植生復元の方向性が定まり、新しい手法が見つかるまではこれで続けることとした。
この年の秋の活動は、一般にもPRをおこない、幅の広い参加者でおこなった。また、どうせならということで、マスコミにも声をかけ新聞社3社とNHKテレビが取材に訪れた。
ヤチカワズスゲの種取と泥団子による播種(植生復元技術で紹介)。
稜線上にある池塘(三ツ池)の復元作業。この作業は造園的な修景を加え、外科手術のように復元をおこなった。
下山後、ピートモスを使ったヤチカワズスゲを麓で栽培し、それを山頂で利用する実験をおこなった。栽培は成功。将来的には大量に栽培し、ヘリコプターで空輸することが可能ということである。これはボランティアレベルの話ではなくなるため行政との連携が必要です。
●1983年から1984年
新潟県の事業として、巻機山の登山道整備がおこなわれた。階段の設置、木道の敷設です。この3ヶ年の事業で、登山道はとても歩きやすくなった。
ボランティアの作業は、植生復元の経過観察、実験区の分けつ調査などを継続的に実施しました。
●1985年から1987年
新潟県が継続して巻機山で事業を実施。今度の事業は植生復元です。ボランティアで採取したヤチカワズスゲの種子を県へ提供し、和紙をコモに貼り付けたものにその種子を付着させ、裸地に被覆させました。もうひとつは同じ要領で麻袋の内側に種子を貼り付けた土嚢を、裸地に敷き詰め土壌流出を抑えながら緑化を促す方法です。
この事業は3ヶ年継続し、新潟県の自然保護行政にとって大きな飛躍になったはずです。この姿勢は次のステップにつながると思います。
この登山道整備により、登山者の歩くところが明確化し、雪田草原への進入がほとんどなくなりました。その結果、木道周辺から極相植生であるヌマガヤが繁殖し、みどりに覆われはじめました。種子の播種やブロック移植でなく、木道を敷いただけでも、植生復元の効果が大きいこともわかりました。
●1991年
登山道整備で植生が復元された部分もあるが、まだまだ裸地は残っていました。植生復元の手が差し伸べられるまでの間、残っている土壌をとにかく保全しようということとなった。
コモで土壌を覆って保全することとしました。大量のコモが必要です。資材は塩沢町が用意してくれ、荷揚げは一般に呼びかけたボランティアにお願いしました。登山口である米子沢駐車場には76名のボランティアが集まりました。地図でデポポイントを示し各自持てる量をザックにつけて登ってもらった。
荷揚げしたコモで裸地化したエリアを覆う作業をおこなった。コモの下に種子も蒔き同時に植生復元もおこないます。竜王平、朝日平を中心に実施した。
●1992年
再びコモを上げる。約60名のボランティアが集まってくれました。今回の対象地は本山周辺から割引岳鞍部までの稜線、ニセ巻機を加えたところです。完全とはいえませんが、これである程度の処置はできました。
それからある発見がありました。池塘を復元したときに捨てた土から、ヤチカワズスゲが自然と発生していたこと。もうひとつ竜王ノ池で不必要になったエゾホソイを登山道の脇に捨てたところ、そこがヌマガヤ、ヤチカワズスゲに覆われていました。
これを機にすっかりエゾホソイに水面を覆われた一ノ池を掘り出し、そのエゾホソイを裸地に移植する計画を考えました。
●1983年~1984年
竜王ノ池の復元作業を実施しました。水面を覆ったエゾホソイを掘り出します。掘り出したものは、リレー方式で頂上へ運びました。単調でキツイ作業でした。その掘り出したエゾホソイの塊は裸地に客土します当初は見た目には汚れて汚らしいものですが、次の年はきれいにならされ自然の植生のようになります。
この作業を2年間おこない竜王ノ池が完全復活しました。
●1995年から1998年
裸地を覆う資材として緑化ネットを使用する。
これまでのコモは耐久性があまりない、ナイロン糸が使われていてテグスが残ってしまうなどの欠点がありました。
緑化ネットは黄麻の繊維を太めにヨリ糸にした、荒く編んだ100%自然素材のネットです。実際に現地で使ってみると、フィット感が良いこと、色が自然にマッチすること、耐久性がそこそこあること、保水力があること、最終的には風化して残らないことなど、いいことづくめです。特に保水力は雨が降らなくとも、朝露を吸収しそこからコケ類が繁殖していきます。
このネットは今後、山岳での植生復元に欠かせない資材となるでしょう。
またシーズ(光合成バクテリアを純粋培養した液体)を使った実験もおこなった。肥料ではなく植物に対し、自然の力で生育保全を促進させるものです。これを植生復元実験区に散布し、成長の度合いを比較した。結果は散布したエリアの成長が著しく進んでいました。山岳地での肥料系使用はまだ、意見の分かれるところでありますが、経過上マイナス面が見られないため、一年の遅れが植生復元に多大な影響を与えることを経験的に知っている我々は、巻機山の植生早期回復を優先するという結論に達し、シーズを積極的に利用することとしました。
群馬県、新潟県、塩沢町、水上町の各行政、ボランティア、清水の関係者などが顔を合わせ、ひとつの土俵のなかで巻機山に登り、事業箇所や工事方法を確認した。こまかい技術的なアドバイスをボランティアがおこないました。
活動をはじめて20年目、この活動が朝日森林文化賞を受賞しました。

●1999年~2006年
雪田草原の極相種であるヌマガヤの播種を本格的にはじめました。時期は9月中旬。ピートモスを客土したところに種子を蒔きシーズを散布、そして緑化ネットを敷き詰めるものです。この作業でネックとなるのが、シーズ散布用の水の確保です。100ミリリットルの原液に対し、10リットルの水が必要です。その水を散布現場まで運ぶために、2リットルのペットボトルをたくさん持参してもらい、それで運搬をおこないました。基本的に水が得にくい山岳でのシーズ散布は、きわめて大変で仕事であることを痛感しました
●~2017年
これまでの本ボランティア活動、各県の大規模な保全工事が実を結び、ある程度の裸地化部分を表面的ではありますが、緑化されました(泥炭がある植生になるまでには、数百年かかると思いますが)。
8合目付近のガレ場は、豪雨時に水が集中すること、常に日射などで乾燥していることなどがあり、植生がなかなか生まれない場所もあります。このところの、主たる作業は、県工事の細かなサポート(木道脇の工事による裸地の土壌流出防止工)や、竜王平池塘の堆積土砂の搬出と裸地エリアへの客土による植生復元、登山者の植生への立ち入り防止対策などとなっています。また、本活動の継続と社会への理解を求めることとして、地元の南魚沼市のご協力を得て、地域の方との意見交換会の実施も行いました。
それから、活動を継続するための後継者の育成、より科学的な視点からの植生復元を行うための、植生調査も視野に入れて、取り組みを進めています。
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